神奈川大学体育会剣道部 剣道部について

剣道部について

1933年創立 神奈川大学体育会剣道部

神奈川大学体育会剣道部は、開学間もない一九三三年に創立され、爾来久しく学問に精励し剣道に精進する有為な人材を輩出してきました。剣友会の先輩諸賢が各界において指導的役割を果たされ、社会の繁栄と人々の幸福に貢献されている事実を誇りに思います。

わが剣道部は、本学の建学の精神を最もよく体現し、部の伝統と文化を尊重するとともに、文武二道の人生を自覚的に構築することに限りない価値を置いています。

『至剛無懼』(しごうむく)

 北陸・東北各地で豪雪が伝えられる中で、関東は幸いにして好天に恵まれた新春を迎えました。今年の卒業生諸君は全員就職も決定し、心豊かに楽しい正月を過ごされた事と存じます。いよいよ卒業を間近にして、心を脹らましておられることと存じます。元気よく羽ばたき実社会での活躍を期待いたします。

 扨昨年一ヶ年をかえりみる時、諸君の大変な努力にもかかわらず、試合成績は報われなかったように思われる。勿論試合に勝つことが剣道の目的ではないが、勝・負の結果を探求して次に備えて精進してこそ試合の意味があるので、充分研究し反省して、今年こそ悔いのない一年とするよう、第一歩をしっかり踏み出してもらいたいと思います。

 先般諸君から手拭他の揮亳を頼まれたので「至剛無懼」の語を贈りました。この語は江戸時代の漢学者浅見絅斎先生の剣術筆記の文中から借用したものです。学者としての浅見繝斎は知らぬ人は少いが、剣術の達人であった事を知る人は少い、この筆記は僅か数百字の短い文章であるが学剣の要を尽くしている。

 参考までに大意を申し上げると、物事にはすべて根本となるものがなければならないが、剣術の根本は至剛無懼の気概を養うことである。技術が如何に精妙に達しても心が怯しては、その技も施し用う事は出来ないものである。であるから小手先で勝・負を競うなど末の末のことである。敵と相対し、我死せざれば彼死し、彼死せざれば我死す、と常に死と向かい合っている心構こそ至剛無懼の極地である。この境地に達して始めて精妙な技術も施し得るのである。

 大要以上のように述べられているが、扨吾々が日々のけい古において或は試合において、常に「死と向かい合った気」でけい古しているであろうか。吾々の修行態度は末だ末だ甘いものであり、真剣味に欠けていることを痛感せざるを得ない。吾々が日々のけい古、一本の試合を「彼死せざれば我死す」の気迫で精進したならば必ず立派な結果が得られる事を確信する。諸君一層の発奮を期待します。

剣道部師範 菊池傳
没年 平成23年6月

『剛氣果敢』(ごうきかかん)

神奈川大学は、一九二八年に横浜学院として創立され、大戦後の一九四九年に新制学となり、今日まで時代の要請と社会の期待に応えて八五年の歴史を重ねてきました。建学に当たって創立者米田吉盛先生は、「質実剛健」と「積極進取」、そして「中正堅実」を基本精神として明示しています。伝統と良識を尊重し、勇気をもって万事に挑戦し、そして新しい価値の創造に貢献することを謳ったものです。

剣道部部長 照屋行雄

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神奈川大学体育会剣道部 竹刀袋

スクールカラーの紫紺を基調とし、竹刀袋中央のデザインには、前部長小松幸円先生の「円」の文字からイメージした「○」を一筆書きしたものが入っております。

このデザインには、「丸くなれ ただ丸くなれ 丸くなれ 角があるものには ものがかかるに」「我をはるな 心ころころ 丸くなれ」という剣道の理念における人間形成の大切さを表現した意味と、「剣道部一丸、チーム一丸」となって目標達成に向かって努力しようという二つの意味が込められています。

剣道部員一同、この竹刀袋の意味を常に念頭に置き、より高い目標実現のために日々稽古に精進するよう願います。

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